2023-01-01から1年間の記事一覧
205系3100番代の一部編成には石巻寄りのクハに2Wayシートというクロスシートとロングシートを転換出来る可変座席が導入されています。その編成は専用の塗装を纏っており他の205系とは違う風格を持っています。この機構が後継に導入される事はあるのでしょう…
現在,仙石線で主力として運用される205系3100番代は全てシングルアームパンタグラフを搭載して運用されていますが仙石線に入線した当時は異なるパンタグラフを使用していました。いつ現在のパンタグラフに変わったのでしょうか。 入線当時は転用元のままの…
仙石線は103系の最後の牙城でした。その時に残ったのはRT-235編成。一方川越線の103系は2005年に引退しました。最後まで残ったハエ53編成ですが互いには実はある共通点があるのです。 1日限りの復活をしたハエ53編成 互いの共通点,それは両者とも仙石線を走…
2003年に石巻市の萬画を利用した地域活性化を目的に生まれたマンガッタンライナー。M8編成が仙石線に登場してから20年という節目を迎えました。そんなマンガッタンライナーによって運用されたうみかぜはどのような列車だったのでしょうか。 土休日の快速うみ…
仙石線では現在まで多くが首都圏からの中古車両での運用が多くを占めており、海側を走行するという比較的過酷な環境下で運用されています。そんな仙石線の歴代の車両はどのくらい運用されていたのでしょうか。今回は宮電の名車、モハ800形からHB-E210系まで…
現在HB-E210系は仙石東北ラインの快速列車での運用が基本となっていますが,2022年12月の初旬に仙石線の普通列車に充当されました。一体何故なのでしょうか。 変電設備取替工事に伴う普通列車 2022年12月3日,仙石線単線区間の変電所の変電設備が取り替えら…
仙石線の103系は最初に導入された第一陣,1989年から導入された第二陣,105系を置き換える為に導入された第三陣と計3回に分け導入されています。殆どを元々白熱灯車をシールドビームに後に改造した車両が占めていましたが中には初めからシールドビームの車両…
JRになった現在では,JR線と呼ぶ事が多くなり国電という単語を耳にする事は殆ど無くなってしまいました。かつてJR東日本がE電を普及させようとしたのも今は昔の話です。実は昭和の頃,仙石線は地元民からは国電と呼ばれていたのです。一体何故なのでしょうか…
現在、仙石線と仙石東北ラインで運用されているマンガッタンライナー。比較的長い歴史のある印象を持つマンガッタンライナーですが、どのくらいの期間運用されているのでしょうか。 M8の登場 仙石線におけるマンガッタンライナーの歴史は2003年から始まりま…
鶴見線で運用される205系1100番台が2024年3月までの全廃が確実となり、南武支線も基本的に運用はE127系へ統一し205系は予備車化した今,JR東日本で日常的に205系を見る事が出来る路線はいよいよ仙石線のみとなりJR東日本で長年に渡り運用された最後の国鉄型…
103系3000番台。ウグイス色でかつ高運転台の為一見すると山手線から転属して来た103系のようにも見えます。しかし、この103系は川越線に来るまでにとても数奇な運命を辿っているのです。 画像出典 Wikimedia commons DAJF様 仙石線生まれのアコモデーション …
仙石線では現在、4両編成の列車のみが運用されていますが、かつては2両編成が運用されていました。何度か2両が復活しているのですがいずれも廃止となっています。仙石線はどの両数が一番適切と言えるのでしょうか。 「鳴瀬川が境」 仙石線の前身である宮城電…
現在、仙石線の主力となる車両は山手線、埼京線、南武線から転用された205系となっておりあおば通〜高城町間では全ての列車が205系となっています。ところで、205系が仙石線に配属され始めたのは2002年ですが、その頃の仙石線はどんな状況だったのでしょうか…
1986〜1987年にかけて仙石線では103系を105系へ改造するにあたり車両が余剰になる事から豊田電車区より武蔵野線用の101系1000番台が貸し出されていましたが1987年に引退しました。その後の101系はどのような動きを見せたのでしょうか。 モハ-モハの動き まず…
現在の仙石線仙台駅は他のJR線からは離れた地下ホームの9・10番線から発車しますがかつては地上駅、さらにその前にはなんと地下駅でした。この仙台駅の初代地下ホームはどのような歴史を辿ったのでしょうか。 歴史を開いた地下駅 1925年に開業した宮城電気鉄…
現在、仙石線の205系は17編成が存在しますが、ラストナンバーはM19編成となっておりかつては19編成が在籍していた事が分かります。その中でもM19編成が仙石線に入線したのは他の205系よりも大幅に遅い2009年の事でした。何故そのようなラグが存在するのでし…
現在では宮城電気鉄道を偲ぶ面影は殆ど無くなってしまいましたが2003年迄は宮城電気鉄道で運用されていた最後の生き残りといえる車両が高松琴平電気鉄道で運用されていました。60形の67号という車両で、琴電ではどのような存在だったのでしょうか。 宮電から…
現在では仙石東北ラインが松島・石巻への速達・観光輸送、仙石線は仙台と仙台のベッドタウンを結ぶ通勤路線の側面が強くなっていますが仙石東北ラインが無い時代は松島・石巻への高速輸送・観光輸送も仙石線(本線)が一手に担っており快速列車がその顔となっ…
現在、仙石線ではあおば通駅・宮城野原駅・石巻駅で発車メロディーが使用されています。その中で一番最初に使用を開始したのはあおば通駅で、仙石線の仙台駅が地上にあった時のメロディーをアレンジした物が採用されています。あおば駅、旧仙台駅で使用され…
仙石線では1957年と、東北地方の路線としてはかなり早い段階で快速列車が運用されていました。そんな仙石線の快速には一時愛称が付けられ、それがうみかぜでした。仙石線の伝説の1つとしても挙げられるうみかぜは一体どのような歴史を辿ったのでしょうか。 …
一世代前の仙石線では103系が運用され、晩年は全車がアコモデーション改造を受けた特別仕様で運用されていました。さて、仙石線では一時スカイブルーや第一次アコモデーション改造塗装車以外にもウグイスやオレンジの103系が運用されていました。一体何故な…
現在、仙石線で運用される車両の殆どは電車による運用で、気動車はおおよそ1時間に1本、高城町より東で運用されるHB-E210系のみとなっています。しかし、仙石線はそれ以前からも気動車が定期運用に就いていました。 キハ110による運用 仙石線で気動車が初め…
ご覧頂きありがとうございます。この記事は「205系3100番台M16 乗客を救った奇跡とは」の後書きとなります。 普段であれば終わりに として書く内容なのですが今回は後書きとして私個人の思いも含めた記事となっています。さて、今回のM16の記事を書く要因に…
205系3100番台の中で、16番目に入線してきた編成がM16編成です。両先頭車が元埼京線、中間車が元山手線という仙石線内ではオール山手線と並ぶ一般的な編成の一つですが、同編成が起こした奇跡というのをご存知でしょうか。今回はその時の奇跡、そして東日本…
現在の仙石線の前身でもある宮城電気鉄道は当時の地方私鉄でも積極的な経営を行っており、阪急等でも見られた沿線開発に力を入れ、松島海岸や野蒜海岸の開発は今見ても目を見張るものであったと思います。車両面に関しても早い段階で半鋼製車両が投入される…
仙石線はおよそ100年近い歴史を持つ路線ですが、その間にも車両は大きく変化して行きました。現在は青と水色の帯を纏う205系が主力を務める仙石線ですが、昔はどのような色の車両が運用されていたのでしょうか。今回は仙石線に移行した戦後の車両に絞って見…
M2〜M5編成とM8編成の石巻寄りの先頭車にはこの5編成だけの特徴としてロングシートとクロスシートを転換出来る可変座席(所謂デュアルシート)が採用され、JRではこれを2Wayシートと呼称しています。現在はロングシートに固定されている同座席ですが、どのよう…
2003年3月22日に205系3100番代の中のM8編成を用いて初めて登場したマンガッタンライナー。今年2023年3月22日を以って登場から20年を迎えました。この短いようで長い20年という歴史をマンガッタンライナーはどのように歩んできたのでしょうか。 地域活性化の…
つれづれなるままに、日暮らし、硯に向かひて心にうつりゆく由なしごとを、そこはかとなく書き付くれば…。これは兼好法師筆の随筆である徒然草の序段です。徒然草は無常観の思想に基づいて筆者が見聞した話を紹介していく…ざっくりと言えばこのような物でし…