徒然なるままに仙石線

このブログでは仙石線に関するあれこれを解説、考察などをして行きます。

仙石線(歴史)

手樽駅周辺はいつまで海の上だったのか

高城町駅の隣の駅である手樽駅。現在は田畑と住居が存在する閑静な駅ですがかつてはこの一体は海の上にありました。ではいつから手樽駅は現在の状態になったのでしょうか。 元々海の上に出来た手樽駅 1928年4月10日,宮城電気鉄道の手によって開業した手樽駅…

宮城電気鉄道と松島電車の関係性とは

仙石線の前身である宮城電気鉄道は元々県庁前から松島までを結ぶ路線として計画されました。松島には既に省線と接続する松島電車という路面電車が存在していました。これら両路線は全く関係無いようで実は浅からぬ関係がありました。 宮電よりも先に電車運転…

西塩釜駅付近の廃線のように見える歩道とは

本塩釜駅の1つ隣である西塩釜駅には仙石線の線路の下を通るように歩道が敷かれており,駅舎もそれを跨ぐようにして通路が配置されています。実はこの歩道は初めから歩道として整備されていた物ではありません。では,一体何なのでしょうか。 西塩釜駅ホーム…

仙石線の本数は40〜30年前に比べてどのように変わっているのか

仙石線は東北地方のJR線で単一路線としては最多の運行本数を誇り朝ラッシュには現在およそ6分間隔で列車が運用されています。さて,この運行体系は40〜30年前はおよそどのような物だったのでしょうか。 現在の本数とかつての本数を比較 仙石線は元々私鉄であ…

仙石線は何故国電と呼ばれたのか

JRになった現在では,JR線と呼ぶ事が多くなり国電という単語を耳にする事は殆ど無くなってしまいました。かつてJR東日本がE電を普及させようとしたのも今は昔の話です。実は昭和の頃,仙石線は地元民からは国電と呼ばれていたのです。一体何故なのでしょうか…

日本初の旅客用地下駅・宮電仙台駅はどのような歴史を辿ったのか

現在の仙石線仙台駅は他のJR線からは離れた地下ホームの9・10番線から発車しますがかつては地上駅、さらにその前にはなんと地下駅でした。この仙台駅の初代地下ホームはどのような歴史を辿ったのでしょうか。 歴史を開いた地下駅 1925年に開業した宮城電気鉄…

仙石線に存在した行楽列車とは

現在では仙石東北ラインが松島・石巻への速達・観光輸送、仙石線は仙台と仙台のベッドタウンを結ぶ通勤路線の側面が強くなっていますが仙石東北ラインが無い時代は松島・石巻への高速輸送・観光輸送も仙石線(本線)が一手に担っており快速列車がその顔となっ…

仙石線仙台駅・あおば通駅の発車メロディーはいつ導入されたのか

現在、仙石線ではあおば通駅・宮城野原駅・石巻駅で発車メロディーが使用されています。その中で一番最初に使用を開始したのはあおば通駅で、仙石線の仙台駅が地上にあった時のメロディーをアレンジした物が採用されています。あおば駅、旧仙台駅で使用され…

みちのく美人と呼ばれた電車

現在の仙石線の前身でもある宮城電気鉄道は当時の地方私鉄でも積極的な経営を行っており、阪急等でも見られた沿線開発に力を入れ、松島海岸や野蒜海岸の開発は今見ても目を見張るものであったと思います。車両面に関しても早い段階で半鋼製車両が投入される…