徒然なるままに仙石線

このブログでは仙石線に関するあれこれを解説、考察などをして行きます。

205系3100番代M19はどのような経歴を辿ったのか

現在、仙石線205系は17編成が存在しますが、ラストナンバーはM19編成となっておりかつては19編成が在籍していた事が分かります。その中でもM19編成が仙石線に入線したのは他の205系よりも大幅に遅い2009年の事でした。何故そのようなラグが存在するのでしょうか。そしてこのM19編成は何処から来たのでしょうか。

元々いたのは南武線だった

そもそも205系3100番代は基本は山手線と埼京線からの転用車で構成されています。ドア窓が小さいのが新製配置が山手線、ドア窓が大きいのが新製配置が埼京線と見分けられます。実際、転用前は山手線(小窓)、もしくは埼京線(大窓)で運用され、それぞれで置き換えられた後に編成を組み、仙石線へ入線します。(大窓車は基本的に中間車が小窓)しかし,M19編成のみはこの法則から外れる編成といえます。ドア窓を見ると小型の為一見すると山手線新製配置に見えます。実際最初に配置されたのは品川電車区、つまり山手線でした。では何故法則から外れる、と言えるのでしょうか。実は山手線をE231系500番代によって追われた後,後にM19編成となる編成は先頭車化改造の上で中原電車区へ転属します。中原電車区、つまり元は南武線用の先頭車化改造車である1200番台だったのです。南武線転用にあたりナハ48編成と改め運用される事になります。

209系の玉突きで103系を淘汰せよ

こうしてナハ48編成は特に異常もなく他の205系や1200番台と同じように運用に就いていました。転機が訪れたのは2009年の事です。京浜東北線E233系によって置き換えられた209系が南武線に転属して来ました。この209系は3編成が転属、ナハ52、53、54と3編成が転属して来たのですが,この内の1編成が205系1200番台を淘汰する為の編成として転属して来たのでした。その1200番台はナハ48編成。では何故1200番台はここで転属になったのでしょうか。所変わって仙石線。既に205系が主力となっていた仙石線ですが、この時多賀城駅付近の連続立体交差化工事に伴い、これまで多賀城止まりとしていた列車が東塩釜行きに延長され,その際に運用数が増加したのです。その時、郡山総合車両センターで休車となっていた103系のRT-235編成を復帰させて朝夕ラッシュに運用させたのでした。トイレ設置やシングルアーム化の末に復帰した103系でしたが既に車体は限界を迎えつつあったと同時に既にJR東日本103系はこの1編成のみ。早急の代替車が求められましたが205系の余剰車は既にありませんでした。その為,何処かからか捻出をする必要があります。そこで南武線の1200番台が選ばれ、その中からナハ48編成が選抜され仙石線に転属させる事を決定します。まず6両の内のモハユニットが編成から外された上で甲種輸送、郡山で耐寒工事・半自動ドアボタン設置,トイレ設置,シングルアーム化工事を行い,帯も南武線から仙石線の物へと変更の上で仙石線に入線して来ました。この編成が仙石線に導入された事により205系で予備編成を確保出来るようになり103系を淘汰、2009年10月のさよなら運転を持って引退しJR東日本から103系が消滅する事となります。

その後のM19編成

仙石線に転属後のM19編成もやはり他の205系と同じ運用に就いており,快速列車でも運用されていました。2023年1月には前照灯南武線時代からのHID灯からM1〜M4編成やE721系と同等のLED灯への換装が行われており現在に至っています。実はM19編成と他の編成というのは割と容易に見分けられ、側面に注目すると実はこの編成のみ幕を埋めた部分にまで丈夫のラインが伸びています。これは南武線時代からの物である為、ナハ48編成時代を感じさせる物となっています。

終わりに

仙石線の中でも山手線や埼京線を直接経由せず、南武線を介して仙石線にやって来た唯一の205系。謂わば異端児とも言えるM19編成ですが、同編成にしか存在しない特徴も存在します。他の編成と比較をしながら観察するのも良いかもしれません。