徒然なるままに仙石線

このブログでは仙石線に関するあれこれを解説、考察などをして行きます。

205系3100番台M16 乗客を救った奇跡とは

205系3100番台の中で、16番目に入線してきた編成がM16編成です。両先頭車が元埼京線、中間車が元山手線という仙石線内ではオール山手線と並ぶ一般的な編成の一つですが、同編成が起こした奇跡というのをご存知でしょうか。今回はその時の奇跡、そして東日本大震災を後世へ伝えていく為に作成致しました。

あの日…

平成23年3月11日、14時46分18秒、上りあおば通行(M9)と下りの快速石巻行(M16)はこの時刻の直前に同時に野蒜駅を発車しました。それぞれの目的地へ向かってひた走ろうとしていた時、未曾有の大災害が東北地方を襲いました。東北地方太平洋沖地震です。その大地震は容赦なく仙石線にも、両車にも襲いました。M9編成は駅から700m付近で、M16編成は駅から600m付近で緊急停止します。そして同地震の影響によって大津波が発生しました。大津波警報東松島市にも発令される事になりました。

M16編成の運命

大津波警報東松島市に発令された直後、M9・M16編成の両編成の車掌はJR東日本の内規に従い付近にある指定避難所である野蒜小学校体育館へ避難するように指示します。しかしM16の乗客の中で野蒜地区在住で地理に詳しかった男性が、「ここは高台だからそのまま車内に留まっていた方が安全だ」と助言し、乗客は皆その男性の言葉を信じて最も高い位置に停止していた3号車へ集合しそのまま車内に留まりました。緊急停止から50分後、黒い波が目前に迫ります。しかし津波は同車には届かず直前の所迄しか津波は行きませんでした。同編成は奇跡的に津波を回避したのです。そして住宅や自動車がいとも簡単に流されていくという恐ろしい光景を見ながら同車の乗客はじっと引くのを待ち続けました。既に暖房や車内灯は落ちておりドアから隙間風が一気に押し寄せる状況、とても冷たい夜を同車は迎える事になります。そして同車の乗客達はその場に留まり続け15時間,早朝5時頃に同編成から脱出する事に成功し、直ぐにも救出されました。乗客乗員、合わせて60名。死者・負傷者なし。M16編成は乗員乗客を全員守り抜いたのでした。

何故M16編成は津波を回避できたのか

M16編成が停車した位置は奇跡的にも大きな用水路のある位置でした。この用水路が津波をここに流していたのです。その為同快速列車に津波が当たる事は無く、奇跡的に回避する事が出来たのです。あと地震の発生が30秒早かったり遅かったりしたら、列車があと300m前後動いていたら、一巻の終わりであったという話もあります。そしてM16編成はその後9ヶ月近くにも渡ってその場に留置され続けました。その内同車に気を遣ったJR職員が同編成の海側窓全てに「がんばろう!東北」のシールが貼られる事になります。この話は直ぐにも伝わりJR側にも通じる事になります。同編成は津波をギリギリで躱すという奇跡を起こした事からいつしか「奇跡の電車」と言われるようになりました。そして同年12月遂にM16編成は陸送によって仙台車両センター宮城野派出へ搬入され「がんばろう!東北」のシールを剥がした上で試運転を行い、2012年1月、あおば通高城町間の仙石線で再びM16編成は運用に返り咲いたのでした。それ以降、現在まで205系で唯一の震災の生き証人として仙石線で運用し続けています。

今回ここで解説しなかったM9・M7編成の話はまた後日行います。同震災で犠牲になった方々のご冥福を心よりお祈り致します。