1986〜1987年にかけて仙石線では103系を105系へ改造するにあたり車両が余剰になる事から豊田電車区より武蔵野線用の101系1000番台が貸し出されていましたが1987年に引退しました。その後の101系はどのような動きを見せたのでしょうか。
モハ-モハの動き
まず引退した101系は一回先頭車同士、中間車同士に編成を組み替えられます。そして中間モハは事業用車クモヤ90055と共に塩釜線へ回送されています。そう,クモヤ90055と101系モハユニットを廃車にする為に塩釜線へ回送したのです。塩釜線の塩釜埠頭駅は解体場も兼ねておりクモヤ90055と共に解体されるかと思いきや、解体されたのは足回りだけで車体はそのまま民間へ引き取られる事になりました。両車は仙台市内でカラオケボックスになったのですが,かなり早い段階で廃業しクモヤはそのまま青葉区の山間へ運ばれそこで倉庫として利用、101系のモハは仙台港に運ばれ倉庫となっています。その後長らく両車はそのままでしたが3月11日、東日本大震災の津波により両車は被害を受け津波に流されてしまい横転してしまいます。両車はそれぞれで解体場へ運ばれ解体されています。一方のクモヤ90055は長らくそのままでしたが2017〜18年の時期に撤去されている事が確認されていますがその後の動向は分かっていません。解体されたという向きが強くなっています。
画像は片町線のですが仙石線でもオレンジバーミリオンのままで運用されていました。
画像出典 Wikimedia commons TRJN様
クモハ-クモハの動向
一方のクモハ同士はクモヤ145-113によって石巻方面に回送されそのまま上っていきます。なんと両クモハは首都圏に再度戻って来ていたのです。しかし両車が辿り着いたのは元の豊田電車区ではなく国立。そう鉄道総研に引き取られたのです。任務はVVVF制御試験と京葉線試験色。京葉線のラインカラ〜となる予定だったワインレッドに塗って研究を重ねます。しかし鋼製車両にワインレッドに塗るとステンレス車とは違い直接塗装を塗る為その分日光による塗装の褪せも大きくなってしまうのではないかという結論が出ました。この事から京葉線に導入する鋼製車は全てスカイブルーのままで行くという結論に至り,以後に転属して来た103系や201系はスカイブルーの塗装で運用され,ワインレッドは205系が纏う事となりました。VVVF実験ではそれまでの抵抗制御から変えGTOサイリスタのVVVF制御に変更して鉄道総研のエンドレス線を何周か運用し続けていました。ここでは長期的な試験を行なっていたようで次の新型車両を見据えた実験を人知れず行なっていたとの事です。この101系は車番は消され、特定の番号では呼ばれていなかったと言われています。90年代も終わりに差し掛かると経年劣化により研究による予見が当たったかのように色が褪せ紫色に変わっており元のワインレッドとはだいぶ異なる色に変色していました。そして2000年以降に仙石線を走ったこの101系は解体される事となります。
終わりに
一方は未来を担う試験車、もう一方は倉庫として器材を支えた仙石線に入線した唯一の101系。後に105系も似たように事業用車として訓練車へ転用がなされています。