徒然なるままに仙石線

このブログでは仙石線に関するあれこれを解説、考察などをして行きます。

JRグループ初の実用化だった2Wayシート車 どのように使用されたのか

M2〜M5編成とM8編成の石巻寄りの先頭車にはこの5編成だけの特徴としてロングシートクロスシートを転換出来る可変座席(所謂デュアルシート)が採用され、JRではこれを2Wayシートと呼称しています。現在はロングシートに固定されている同座席ですが、どのような歴史を辿ったのでしょうか。

観光と通勤の両立

2002年より同線で長年運用され続けていた103系の淘汰を目的に205系3100番代は導入されました。当初は純粋に103系の置き換え目的だったようですが、次第に計画進行にあたり観光需要の取り込みが考慮されるようになりました。仙石線には松島や野蒜海岸、石巻と言った宮城県内でも有数の観光地を沿線に持っており、特に松島と野蒜については前身である宮城電気鉄道の代から沿線の重要な観光地として力が入っていた場所でもありました。なのでこの風景を楽しんで貰う設備を導入して仙石線沿線への観光需要を取り込んでいきたいというものでした。しかし、仙石線は東北でも有数の通勤路線の1つでもあり特に朝夕ラッシュ時間帯には仙台近郊で多くの利用者で混雑する路線でもある為、通勤需要も考慮する必要がありました。観光需要と通勤需要の両立、こうして考え出されたのがロングシートクロスシートを転換出来る可変座席の導入でした。この時、近鉄での採用例こそあったものの、JRグループとしては国鉄時代に吹田工場でクハ79929を試作的に改造したに留まっており量産型としては実質これが初の例となっています。こうして2002年10月にM1編成と共に登場したM2編成の石巻寄り先頭車に搭載されたのが2Wayシートでした。

2Wayシート車両の活躍

登場したM2編成は、他の205系と異なる塗装を持って登場し、仙石線の沿線をイメージしたカラーを纏いあおば通方から緑-紫-橙-赤の4色の濃淡帯を巻いた塗装となりました。次に登場したM3〜M5編成も2Wayシートを導入しこの塗装を纏うようになりました。こうして2Wayシート車両は4編成登場した所で一旦区切りが付けられ、次に登場したM6編成とM7編成は通常のオールロングシート使用で登場しました。さて、これら2Wayシート車両は仙石線でも比較的長距離を移動する客を考慮して導入された為当時運行されていた快速うみかぜの運用には同車が積極的に入るようになりました。その時には勿論座席をクロスシート状態にして運用され、ラッシュ時間に運用するとなれば配電盤のスイッチでクロスシートからロングシートへと早変わりする構造となっていました。M6、M7編成は通常仕様で登場しましたが、M8編成は石巻市との協力によりマンガッタンライナーとなりました。仙石線の看板を担う列車となる訳ですので、同編成にも2Wayシートが導入され,5編成が出揃う事となります。これ以降の205系の導入は全てオールロングシートとなります。しかし、この2Wayシートの機構は不慣れな所もあったのか、試行錯誤が運用中にも重ねられ、ある時期は終日クロスシートだったり、ある時期は終日ロングシートだったり、またある時は快速運転時はクロスシート普通列車ロングシートと乗る機会によって座席の向きが違うというような事もあったようです。

2Wayシート車のその後の動向

そして2010年代にも差し掛かると座席転換機構の改修により海側がクロス、山側がロングという状態が基本となり本来の導入の意味が半分失われてしまったようにも感じます。この状態が暫く続くものの、2015年5月30日に仙石線の全線復旧及び仙石東北ラインの開業により事態は変化、石巻への速達輸送はそれまでの仙石線経由から仙石東北ライン経由が基本となり、それまで仙石線経由で運用されていた快速は前日の5月29日を持って廃止となり都市間輸送を仙石東北ラインに譲る事となりました。通勤輸送に専念する事となった205系はこれら2Wayシート車両のクロスシートロングシートに完全に固定する事となり、2015年の10月頃には既に5編成でのロングシート固定化が完了しており、仙石東北ラインに役目を譲る形で仙石線経由の快速と共に2Wayシートも実質役目を終えたのです。

終わりに

かなり先進的な取り組みとして話題になった2Wayシート。もし205系が淘汰される時が来たのなら最後に一日限りの復活をして欲しいものですが正直な所難しそうです。