徒然なるままに仙石線

このブログでは仙石線に関するあれこれを解説、考察などをして行きます。

マンガッタンライナーが歩んだ20年

2003年3月22日に205系3100番代の中のM8編成を用いて初めて登場したマンガッタンライナー。今年2023年3月22日を以って登場から20年を迎えました。この短いようで長い20年という歴史をマンガッタンライナーはどのように歩んできたのでしょうか。

地域活性化起爆剤としての使命を持って

石巻市といえば「仮面ライダー」や「サイボーグ009」で知られる漫画家・石ノ森章太郎氏のゆかりの地としても知られ,石巻市も「萬画の国」として石ノ森萬画館石巻駅から萬画館迄の道のりに石ノ森氏の作品キャラクターをモニュメントなどで配置した石巻マンガロードの設置等、積極的なアピールが行われています。そして石巻市では対外的アピール、漫画を活かした地域の活性化を進めていく中で、石巻市東日本旅客鉄道仙台支社と手を合わせ市と仙台市を結ぶ重要路線である仙石線でマンガ電車の運行計画を立ち上げ進行させていく事になりました。当時最新型車両であった205系3100番代にラッピングを行う事になり2003年3月22日、土曜日の10時07分あおば通発の快速うみかぜ7号を以って遂に石ノ森氏のキャラクターを大々的に描いた「マンガッタンライナー」は華々しくデビューを飾りました。車内にも大きなこだわりを持ち、石巻寄りの先頭車にはM2〜M5で採用されていた2Wayシートの採用、車内全体の広告や装飾も石ノ森氏のキャラクターでいっぱい、さらには指定の快速うみかぜで運用される際には石ノ森氏の代表作の一つでもある「がんばれロボコン」よりロボコンが車内アナウンスをするなど、石巻市と仙台支社の熱意を感じさせるこだわりの電車となって生まれました。

 

2008年には仙台・宮城ディスティネーションキャンペーンの一環として再び石巻市と仙台支社が手を合わせ2代目のマンガッタンライナーをM2編成が纏って登場しました。これで仙石線マンガッタンライナーは2編成体制となり生活においても、さらに観光においても仙石線マンガッタンライナーは浸透していきました。 しかし…

東日本大震災の発生、分断される仙石線

2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震発生,それに伴う大津波が東北地方の太平洋沿岸部を襲いました。この未曾有の大災害は仙石線にも牙を剥きました。仙石線の沿線でもある野蒜地区に甚大な被害を及ぼし、あおば通へ向け走行していた列車(M9編成)が野蒜〜東名間で津波に飲まれ、L字型に大破してしまいました。同車に乗っていた乗客らの避難もギリギリの所でした。そして同車はそのまま現地で解体となっています。この地震津波の影響により仙石線高城町を境に完全に分断されてしまい,当面の全線での運行は出来なくなってしまいます。しかしそれでも路線の復旧は進められて行き,5月中に高城町までの復旧が達成,7月には石巻寄りである石巻〜矢本間の復旧が完了します。マンガッタンライナーについては、あおば通高城町間の列車に就く事になり、205系によるマンガッタンライナーは一時的に石巻市から姿を消してしまいます。この時復旧した石巻〜矢本間では津波の被害によりこの区間の電気系統が破損し信号や直流電源が使用出来なくなってしまいました。そこで小牛田運輸区に配置されていたキハ110をこの運用に就かせ、さらにスタフ閉塞式によって当面は運行をして行く事となりました。

キハ48によるマンガッタンライナー

2013年より石巻線復興のシンボルとして石巻線で運用されていたキハ48型2編成を活用した石巻線マンガッタンライナーが登場しました。これら2編成は小牛田〜石巻間の区間を中心に石巻線を走行、キハ110への世代交代が始まりつつあった石巻線の架け橋となりました。そしてこのマンガッタンライナーには仙石線マンガッタンライナー石巻に帰って来るまで石巻市を支える、という目的もありました。同車はその後も石巻線及び石巻市復興の支えとして運用され、5月29日のキハ40系列の石巻線撤退に伴い定期運用を終了、5月31日の団体列車を持って完全に引退しました。

帰って来る仙石線

その時にも仙石線内では着実に全線復旧へ向け作業が続けられていました。被害が甚大だった陸前小野〜陸前大塚間では高台へ新線を建設し移転、陸前大塚高城町間の区間では堤防の設置、路線の嵩上げ工事が実施され、今まで手付かずだった区間も着実に復旧して行きました。線路が繋がった2015年以降には4年ぶりに205系高城町以東に乗り入れて試運転をしたりなどいよいよ全線復旧の兆しが見えて来ました。そして5月30日、長かった4年2ヶ月。遂に仙石線石巻に帰って来ました。全線復旧を果たしたのです。そして同日にも仙石線マンガッタンライナー石巻乗り入れが復活しM2編成が駆け抜けました。キハ48から205系へ、再びマンガッタンライナーの襷は受け継がれ、石巻市に帰って来たのでした。

復興の架け橋として未来へ

2003年の運用開始時より長く205系での運用が続けられたマンガッタンライナー。2022年より全線復旧と共に登場した新系統、仙石東北ラインで使用されるHB-E210系にも、C-1・C-2編成に風・夢の2つのテーマを持った3代目マンガッタンライナーが登場し、バリエーションがさらに増加しました。両マンガッタンライナーは現在も仙石線、ひいては石巻市の復興・観光の起爆剤、未来への架け橋として運用しています。2023年にはM8編成が初代マンガッタンライナーとしてデビューしてから20周年を迎え、7月には20周年を記念して石巻駅でM8・M2編成を並べたイベントが開かれるなど、現在でもマンガッタンライナー石巻市民、仙石線沿線民に顔として、未来への架け橋として活躍を続けているのです。

終わりに

現在、マンガッタンライナーは毎週日曜日、あおば通を10時48分に石巻へ向かう運用が同車の専用運用となっています。このマンガッタンライナー205系の後継にも継承されていく事を願ってやみません。