2025年1月10日,JR東日本から205系3100番代M8編成によるマンガッタンライナーⅠが3月23日を持ってラストランとなる事が発表されました。これでマンガッタンライナーの歴史が一つ終わる事となります。今回はM8編成の22年間の軌跡を振り返ると共にM8編成の今後について考えてみたいと思います。
マンガッタンライナーⅠの22年間
2000年代初頭より石巻市では市にゆかりの深い石ノ森章太郎氏のキャラクターを生かし萬画の国として宣伝をするようになりました。その為石ノ森萬画館の開業や石巻駅から萬画館までの道に氏のキャラクターを配置したマンガロードを作るなど萬画の国としてのイメージを着々と築いて行きました。そして市では対外アピールを目論みJR東日本と手を組み仙台と石巻を結ぶ仙石線の車両に氏のキャラクターを全面的に施した特別仕様の車両を導入する事となりました。そう,これが今に続くマンガッタンライナーの興りでした。編成は次に導入されることとなったM8編成。車内は奇数方クハにM5編成以来となる2Wayシートが復活。車外・車内共に石ノ森ワールドが展開され,さらには専用の運用となる休日の快速うみかぜ7・18号に使用される際には車内放送をロボコンの自動放送により行うというM8編成全てが石ノ森章太郎氏の世界であり萬画の国・石巻の宣伝にはまさにうってつけの仕様となりました。
こうして2003年3月22日,あおば通10時02分発の快速うみかぜ7号で華々しいデビューを飾る事となったのです。その車両スタイルや専属快速運用時の車内放送のロボコンの軽快な車内放送により子供連れの家族客からの評判も高く,一躍仙石線の顔と言える存在となりました。
しかし2004年には快速列車に付けられたうみかぜの愛称が使用廃止となり,名無しの快速になってしまいます。専属の快速運用は残されたものの,自慢のロボコンによる自動放送は停車駅の変遷などもあって使用機会が下がってしまい,2009年時点でその自動放送装置は撤去されてしまいました。しかし車内や車外はそのままの仕様となり結果的にこの仕様のまま20年以上も駆け抜けました。2023年にはマンガッタンライナー登場20周年を記念した各イベントが実施されマンガッタンライナー20周年を大きく祝いました。
2025年1月10日にマンガッタンライナーⅠ世の引退が発表され,その22年の歴史に幕を下ろす事が発表されました。最終日である3月23日は22年前に快速うみかぜ7号としてデビューを飾った日の翌日となりラストランはデビュー日と極力共通にするという物となりました。最後の運用となる上り12時46分発のあおば通行では式典が催されることとなり長年の活躍を労い最後の花道を駆ける事になります。
https://www.jreast.co.jp/press/2024/sendai/20250110_s01.pdf
マンガッタンライナーⅠ引退に関するプレスリリース。
運用終了後のM8編成はどうなると思われるのか
さて,ここで気になるのは運用終了後のM8編成の処遇についてです。他社ではラッピング終了後はラッピングを剥離して通常塗装に戻すケースが多いのですが,M8編成の場合,入線当初からマンガッタンライナーの仕様である為通常塗装という物が存在しません。2wayシートをクハ205に搭載しているためラッピングを剥離するとすれば2wayシート色になると思われますがE131系導入による淘汰が間近に迫っているから導入までの繋ぎとして一般色にする可能性も僅かに否定出来ません。
その一方で,廃車という選択肢もあります。205系3100番代は震災廃車を除いても既にM4編成が2024年4月付けで廃車となっており8月には解体が完了し完全に姿を消している事からもM8編成も同じようになる可能性があります。しかしここで問題となるのは運用数です。現在の仙石線では14運用に対し16編成で回しており,205系3100番代の現状を考えるとそれでも車両不足感は否めない状況です。そのままの状態でM8編成を廃車にした場合,15編成で回さなければならなくなり,ますます車両のやりくりに余裕が無くなって来ます。故障車が短期間の内に多く発生した去年の夏を考えた場合,このままでE131系導入まで乗り切れる可能性は高いとは言えない状態です。対策としてM8編成を予備の予備車というような状態で残すか,ダイヤ改正で本数を減らすかの2通りがあります。しかし謎なのが今回の仙石線に関する改正の記載が全く無い為,ここがどうなるのかは不透明となっています。私としては廃車になる可能性の方が高いと推測しますがそれがいつなのかはやはりまだ不明という状態となっています。
終わりに
遂に発表される事となったマンガッタンライナーⅠの引退。引退後のM8編成が今後どのようになるのかは不明ですがM8編成のマンガッタンライナーが運行終了するという事は仙石線における205系の歴史に一つの大きな区切りが付くという事は間違いなさそうです。