徒然なるままに仙石線

このブログでは仙石線に関するあれこれを解説、考察などをして行きます。

M4編成が廃車に 205系3100番代は残り16編成に

去る2024年4月18日,運用を離脱していた205系3100番代のM4編成が郡山へ向けて回送されて行きました。結果は廃車という物で,205系3100番代としては3編成目,東日本大震災による津波被害に遭い廃車となった震災関連廃車を除けば205系3100番代初の廃車となってしまいました。

M4編成の廃車

4月に入って一番検査期限が近い編成である事から近い内に入場するのでは無いかと言われていたM4編成。ところが2024年4月13日を最後にM4編成は運用に一切入らなくなり,検査の為の距離調整では無いのかとも言われていましたが一方でM4編成は廃車になるのでは無いかと噂されていました。そしてそれは現実の物となってしまったのが実情のようです。そして仙石線の205系はこれで16編成となり,103系の第一次転入陣の編成数と同じ数になった事になります。

M4編成は2002年11月に205系3100番代の第四編成としてM2,M3編成に続いて2Wayシートを搭載した編成で2019年に205系3100番代で先陣を切って前照灯がLED化された編成でもありました。

廃車と分かる理由と今後の展望

現在仙石線では2022年改正で1運用が減便となった14運用体制であり,17編成中予備が3編成ありました。予備車を2編成確保するのであればこの数は過剰な物でありいつか1編成減らすタイミングが来ます。また,205系3100番代は近い内にも新車に置き換える計画でしょうから,なるべく検査は通したくは無いでしょう。M4編成は現在いる205系3100番代で一番検査期限が近く,このタイミングでM4編成を廃車にし編成数を適量化,前照灯のLEDライトや一部機器を他の編成,また前照灯はE721系の予備部品として確保する為の目的があったのではないでしょうか。また同編成の連結器の形もまた同編成が廃車になると実感させる物でした。仙石線の入場・出場に関しては路線が孤立している事,また電圧が異なる事から自走が出来ず,石巻線をDE10,小牛田から先の東北本線区間はED75が牽引します。205系と機関車の連結器は異なる物の為連結器を宮城野派出所内で交換します。この交換は普通の検査であればあおば通・石巻方両方の連結器を交換するのですが,今回の回送はあおば通方のみが交換され,石巻方はそのままであった事からより郡山への片道切符であると実感させました。

画像提供 赤沼(akanumA)様

さて,M4編成を廃車にした事で気になる点が一つあります。それはATACS機器はどうなるのかという事です。205系3100番代のATACS機器は10年前後が経過してはいるものの,比較的新しい事から新型車両への流用が想定されます。もしM4編成に限らず他の編成もATACS機器を流用されるのであれば新型車両(E131系)の導入ペースは比較的遅い物になると思われ,暫くは205系との共演が見られるのでしょう。しかし流用しない場合,他路線のようにかなり高いペースで導入・置き換えるのかもしれません。M4編成の廃車があったものの,仙石線ではまた新たに廃車になる編成は暫く現れないのではないでしょうか。次検査が近い編成ほM5編成ですが,新型車両の公式発表がされていない中で廃車を進めれば車両不足に陥る事が想定されます。その為,同編成は検査を通すか,M4編成の晩年の日のように休車にして期限を伸ばしたりをするのかもしれません。

終わりに

遂に発生した205系3100番代の余剰による廃車。2Wayシート車は定員が通常編成と異なっておりドアエンジンも2Wayシートがある先頭車のみが異なる状況でしたので早い段階で廃車になるかもという事は予測してはいたものの,いざ廃車になるとどこか喪失感を感じ,寂しい気分になってしまいます。

2Wayシート車は今後どうなるのか 現状から考察する

最近仙石線の車両関連の動きで話題となっているM3〜M5までの2Wayシート色の205系。これら3編成は一体これからどうなって行くのでしょうか。

M4編成の運用離脱

4月の中頃より,運用の出入が激しくなっているM4編成。石巻寄りクハに2Wayシート座席を搭載しておりその3番目の編成に当たります。この編成は現在在籍する205系3100番代では最も検査期限が近い編成となっており近い内の入場が予想されています。しかし,4月13日を最後にM4編成は仙石線の運用に一切入っていません。仙石線では検査期限や近い編成や故障を起こした編成の長期的な運用離脱は少なくは無く,今回の運用離脱もまた全般検査の為の入場の可能性がありますがこの編成の動向に一部では廃車なのでは無いかと噂されています。しかし現時点では同編成が検査に入れるのか廃車になるのかは全く不明となっています。

M3,M5編成を含めた2Wayシート車はどうなるのか

石巻寄りクハ車に2Wayシートを搭載した205系は先の3編成に加えマンガッタンライナーの2編成も含まれます。マンガッタンライナーに関しては両車とも運用を継続しています。しかし2Wayシート色の3編成に関しては現在,少々不自然な動きを見せています。4月16日にM3,M5編成がM4編成と共に終日運用に入らないという事が発生しました。仙石線は日曜のマンガッタンライナー運用を除いて全て共通運用なのでたまたま2Wayシート車が予備となったのだな,と感じますが翌日も同じ3編成が運用に一切入らないという動きを見せています。先述のようにとある1編成が長期的に運用から離れる事はたまにある話だと述べましたが,3編成,しかも同じ特徴を持った編成が一気に離脱しているというのは運用的にも不自然なのです。一時的な物であればまだ良いのですが,これが長期的に続くとなると話は別です。まずM4編成についてですが,先程も述べた廃車説は可能性が0であるとは決して言えないのが現状です。何故かと言えば、現在仙石線の運用数は14本あり3編成が余る状態にあります。予備を2編成取るとしても1編成が余ってしまい供給過剰となってしまいます。予備がこれ以上必要無いと判断されれば廃車という物です。このような事例は全国で見てもよくある話でありその対象がM4編成になるのではという物です。ただしただの全般検査である可能性も考えられ,動向はまだ読みづらいというのが現状です。

一方のM3,M5編成については走行距離の調整を行なっている可能性があります。休車や長期離脱により検査期限を伸ばすという物で,引退が想定される車両が運用を離れて距離を調整し検査期限を伸ばす事例がこちらも多々あります。M3,M5編成はこれを行い検査期限を伸ばして延命を図っているのでは無いかと考えられます。

終わりに

M4編成の検査期限から始まった2Wayシート色車の車両運用の変化。この情報は定期的に変動する可能性が高く,必ずしも確定とは言わないものの,現在の3編成の状況においてはこうなるのでは無いかと私は考察します。もしM4編成の廃車が本当であれば終焉の足音が近づいているという事なのかもしれません。

 

手樽駅周辺はいつまで海の上だったのか

高城町駅の隣の駅である手樽駅。現在は田畑と住居が存在する閑静な駅ですがかつてはこの一体は海の上にありました。ではいつから手樽駅は現在の状態になったのでしょうか。

元々海の上に出来た手樽駅

1928年4月10日,宮城電気鉄道の手によって開業した手樽駅ですが,この時は現在とは異なり2面2線の交換駅でした。そして周りは現在とは異なり海に囲まれていました。これを手樽浦と呼び宮城電気鉄道はこの手樽浦の上に線路を敷いたのです。手樽浦を通るに当たり宮城電気鉄道は橋梁ではなく線路を敷く為の堤の上に線路を引いて手樽浦を横断し手樽浦の岬上に手樽駅を設けました。昭和10年発行の地図を読むと手樽駅周辺は実際に海に囲まれた地形となっており手樽駅は浦の入江の岬付近に設けられた駅である事が分かります。

 

埋め立て後の手樽浦跡の築堤上を行く仙石東北ライン快速。

そして干拓へ

戦前や戦後直後まで長く手樽浦の築堤上を走っていた仙石線ですが1950年代半ばに転機が訪れます。手樽浦の干拓事業が行われる事となったのです。この地域一体に田畑を造成し良質な米の収穫を増やす狙いがありました。この事業は国営の干拓事業だった事もありいかに手樽浦の干拓が重要視されていたかが分かります。干拓を行う為に松島湾の入江付近に舘崎と錢神を結ぶ為の全長480mの堤防が築かれいよいよ本格的な工事が始まりました。1956年の事です。実はこれ以前にも干拓事業が行われた事はあったものの全域を埋め立てる物ではなかった為この時に本格的な干拓工事が行われる事となりました。その最中の1963年に手樽駅の交換設備が撤去され現在の1面1線構造となっています。そして1968年に手樽浦の干拓工事が全て終わりその埋め立て地一体は田畑となった事でこの地域に127家の農家が入居する事となりました。この時手樽付近の仙石線は海を築堤で横断する事は無くなり田畑を横断するようになったのです。

終わりに

今回は仙石線というよりは仙石線が走行する地域の地理史に近い内容となりました。手樽一帯が海だった跡は田畑の中に不自然にある島の跡や地区名の一部に浦という字が使われている事にも伺えます。

仙石線はどの駅で折り返すのか

仙石線は都市近郊通勤路線としての役割を持っており,仙台と石巻を直接結ぶ都市間輸送以外にも仙台のベッドタウンや観光地に近い駅での折り返し運転も多く存在しています。では仙石線は主にどの駅で折り返しを行うのでしょうか。

仙石線複線部の折り返し駅

仙石線では始点と終点であるあおば通・石巻駅を結ぶ列車は勿論の事,その途中駅折り返しの列車が多く存在します。上りの場合は全てあおば通行きですが,石巻方面の下り列車で複数パターンが存在します。まず仙石線を代表し最も多く存在するのが東塩釜行き。東塩釜駅は2面3線構造をしており基本的に3番線を使用しています。2022年のダイヤ改正までは日中でも東塩釜行きが存在していましたが現在では朝夕のラッシュ時間帯や早朝・深夜帯での運行が殆どとなっています。また同じく2面3線構造をしている多賀城駅でも折り返し列車が存在しています。こちらは主に日中時間帯を中心に設定されており列車は折り返し列車は2番線を使用しています。朝ラッシュの終わり際に運行されるのが小鶴新田行きでこちらは近隣に存在する仙台車両センター宮城野派出所への入庫を行う為小鶴新田駅に到着した時に直ちに回送列車として発車する為折り返しのあおば通行きになる事はありません。

単線部での折り返し駅

東塩釜より先の単線部では松島海岸行と高城町行があります。松島海岸行きは2000年のダイヤ改正で一度廃止されたものの,2022年のダイヤ改正で復活した運用となっています。松島海岸行きは日本三景の一つとして知られる名勝・松島への観光拠点駅でありアクセスをよりしやすくする為に復活・設定された運用となっています。高城町行は松島海岸行きが廃止された後は長らく松島町内での折り返す唯一の運用でしたが現在は松島海岸行きも設定されています。高城町は仙石東北ラインとの分岐駅であり折り返し列車では仙石東北ラインの快速,特に石巻行きと連絡を行い対面乗り換えを行なっています。また一部の列車は高城町行きとして運用して後に松島海岸まで持っていきそこから松島海岸始発あおば通行の送り込み回送を行う物も存在しています。

終わりに

現在の仙石線では途中駅止まりの列車は概ね仙台のベッドタウンへの列車が多く単線部では松島観光や仙石東北ラインへの接続等の役割を担っています。かつては陸前原ノ町行きや矢本行きも存在していましたが現在はそれぞれ廃止されています。

仙石線は何故テスト路線に使用される機会が多いのか

仙石線ではATACSや座席転換機構を持つ座席といった新機軸を採用するにあたっての試用路線に使用される機会,つまるところJR東日本の試験線としての役割が一定数存在しています。一体何故なのでしょうか。

仙石線から始まったJRの新技術とは

まず,仙石線がテスト路線として使用された新技術にATACSが挙げられます。ATACSは列車位置検知を車上方式とし地上及び車上の通信をデジタルで行う事により地上信号が無くても走行が可能な制御方式で仙石線が日本で初めて実用化に漕ぎ着けた技術でもあります。また2Wayシートというロングシートとクロスシートを転換出来る座席や新鳴瀬川橋梁に架けられたフィンバック式と呼ばれる新しい橋梁が初めて採用されたのも仙石線です。

何故テスト路線に採用される事が多いのか

このように新技術の試用路線として使用される事の多い仙石線ですが何故なのでしょうか。これには仙石線の環境が大きく影響しています。まず仙石線の電圧は直流1500Vで周りの路線が交流20000V電化,または非電化区間である事。一見関係ないようにも見えますがこれらの路線とは仙石東北ラインの快速を除いて一切干渉せず,他路線への影響を殆ど受けない為試験路線に選ばれやすいのでは無いでしょうか。また,仙石線はテストに値する路線条件の殆どを揃えている事も挙げられるのでは無いでしょうか。地下区間や高架区間,都市近郊区間を一定の区間に抱え,沿岸区間や山岳区間等,鉄道が走る基本的な線路の要素の殆どが揃っており様々な条件下で試験を行う事が出来る事からも仙石線が新技術の実験戦として使われる機会が多いのでは無いかと考えるのです。

終わりに

仙石線が試用路線として選ばれ,使用される理由について考察を行ってみました。仙石線から使用が始まったものとして代表れるATACSは遠くない未来にも首都圏全般で使用が開始される計画があり既に埼京線での使用が始まっています。