徒然なるままに仙石線

このブログでは仙石線に関するあれこれを解説、考察などをして行きます。

宮城電気鉄道

宮城電気鉄道と松島電車の関係性とは

仙石線の前身である宮城電気鉄道は元々県庁前から松島までを結ぶ路線として計画されました。松島には既に省線と接続する松島電車という路面電車が存在していました。これら両路線は全く関係無いようで実は浅からぬ関係がありました。 宮電よりも先に電車運転…

仙石線歴代車両の在籍両数はどれくらいなのか

仙石線では国有化後,現在の主力である205系まで基本は首都圏から転用された車両が基本となっておりかつ本数を比較的多く抱える路線である為比較的多くの両数が所属していました。その両数は一体どのくらいの両数だったのでしょうか。 歴代車両の両数とは 今…

平成まで生き残ったもう一つの宮電・琴電230号はどのように運用されたのか

高松琴平電気鉄道では元宮城電気鉄道の車両が何両か走っていました。以前に紹介した67号以外にも琴電にはもう一両の車両が運用されていました。 もう一両いた宮電生まれの車両 高松琴平電気鉄道2000形230号。これがもう一両いた宮電生まれの車両です。元は67…

宮城電気鉄道時代は何両の車両が存在したのか

仙石線の前身である宮城電気鉄道は東北でもトップクラスの有力私鉄として知られ,車両面に関しても大手にも負けないような設備の車両が運用されていました。さて,宮城電気鉄道時代には何両の車両が在籍していたのでしょうか。 地方私鉄でも比較的先進的な車…

仙石線の車両はどのくらいの期間運用されていたのか

仙石線では現在まで多くが首都圏からの中古車両での運用が多くを占めており、海側を走行するという比較的過酷な環境下で運用されています。そんな仙石線の歴代の車両はどのくらい運用されていたのでしょうか。今回は宮電の名車、モハ800形からHB-E210系まで…

日本初の旅客用地下駅・宮電仙台駅はどのような歴史を辿ったのか

現在の仙石線仙台駅は他のJR線からは離れた地下ホームの9・10番線から発車しますがかつては地上駅、さらにその前にはなんと地下駅でした。この仙台駅の初代地下ホームはどのような歴史を辿ったのでしょうか。 歴史を開いた地下駅 1925年に開業した宮城電気鉄…

宮城電気鉄道最後の生き残りだった琴電67号 どのような存在だったのか

現在では宮城電気鉄道を偲ぶ面影は殆ど無くなってしまいましたが2003年迄は宮城電気鉄道で運用されていた最後の生き残りといえる車両が高松琴平電気鉄道で運用されていました。60形の67号という車両で、琴電ではどのような存在だったのでしょうか。 宮電から…

仙石線に存在した行楽列車とは

現在では仙石東北ラインが松島・石巻への速達・観光輸送、仙石線は仙台と仙台のベッドタウンを結ぶ通勤路線の側面が強くなっていますが仙石東北ラインが無い時代は松島・石巻への高速輸送・観光輸送も仙石線(本線)が一手に担っており快速列車がその顔となっ…

みちのく美人と呼ばれた電車

現在の仙石線の前身でもある宮城電気鉄道は当時の地方私鉄でも積極的な経営を行っており、阪急等でも見られた沿線開発に力を入れ、松島海岸や野蒜海岸の開発は今見ても目を見張るものであったと思います。車両面に関しても早い段階で半鋼製車両が投入される…