徒然なるままに仙石線

このブログでは仙石線に関するあれこれを解説、考察などをして行きます。

RT-235編成とハエ53編成 意外な共通点とは

仙石線は103系の最後の牙城でした。その時に残ったのはRT-235編成。一方川越線の103系は2005年に引退しました。最後まで残ったハエ53編成ですが互いには実はある共通点があるのです。

1日限りの復活をしたハエ53編成

互いの共通点,それは両者とも仙石線を走った経験があります。とは言ってもハエ53編成は仙石線にいた頃は103系では無く,72系970番代として運用されていました。1985年の川越線転用に合わせて新性能化,103系となります。

これもあるのですが,それ以外にも共通点があります。それは互いに引退した後に復活したという経験を持っている事です。まずハエ53編成が1度目の引退を果たしたのは10月2日。同車を置き換えるのは205系3000番代のハエ72編成。一度5月に運用を離脱しますが7月に再び運用に復帰して運用しましたが10月1日の川越車両センター公開イベントで撮影会が行われ翌日にヘッドマークを付けてラストランを行いました。このまま川越・八高線の103系はそのまま廃車回送され廃車になる物と思われました。しかし10月12日,置き換えた205系3000番代に故障車が出てしまいます。このままでは運用をこなせない。そこで川越区で引退して留置されていた103系ハエ53編成を復活させました。同車が川越車両センターを出たのは川越・八高線の運用分の最後の出庫であったとの事なので直前まで修理をしていたのでしょう。この運用はその日のうちに川越に入区しない運用であった為運用に区切りをつけてその日のうちに入庫させ深夜に川越へ帰還しました。しかしいつまでも運用させる訳にもいかず,それ以降の復活は行われず1日限りの復活という形になりました。そして17日,ハエ53編成は大宮へ廃車回送されました。

画像出典 Wikimedia commons DAJF様

2年間続いたRT-235編成の復活

仙石線から103系が引退したのは2004年7月。最後に充当されていたRT-235編成は205系3100番代のM18編成に置き換えられ定期運用を終えました。同年中にも郡山へ回送されそのまま廃車となるかと思われましたがなんと予備車扱いでそのまま留置され続けていたのです。そのまま長らく郡山に留置され続けていましたが2006年に事態が動きます。多賀城駅付近の立体交差化の都合によりそれまで多賀城止まりだった列車を東塩釜行きとする事としたのです。これに伴い運用数が増加すると見込まれます。しかし205系は18編成のみ。しかも現在と異なり快速列車も全て担っていた当時では運用数が増えるという事は車両不足となってしまい中々に痛い物でした。そこでこれまで郡山で留置していた103系RT-235編成を復活させ車両不足を補う事としたのです。運用復帰にあたってRT-235編成は徹底的に205系と合わせる工事が施され石巻寄りクハにはトイレの設置,車内モケットを205系と共通の物に,そしてパンタグラフをそれまでの菱形パンタを捨てシングルアーム化の上で復帰を果たしました。2007年よりあおば通〜小鶴新田・東塩釜間の平日朝ラッシュ運用で復活しました。2004年までいた頃とはだいぶ違う見た目となったRT-235編成ですがそれでも復活した103系というのはかなり異例の事であった為注目されました。そして既に103系は2006年に常磐線から引退して1年が経っていた為この編成はJR東日本に所属する最後の103系となっていたのです。しかし同車は所詮はその場凌ぎ。2009年,多賀城高架駅を自分の目で見る事は無く南武線から転属してきた元ナハ48編成であるM19編成によって同車は置き換えられます。10月21日,JR東日本最後の103系・RT-235編成はラストランを迎えました。最後はヘッドマークを誇らしげに掲げ思い出の石巻まで海風を浴びながら全力疾走。ここにJR東日本最後の103系は運用を終了。翌年の1月に今度こそ郡山で解体されJR東日本の103系は完全消滅となりました。

画像出典 Wikimedia commons まるちゃん様

終わりに

実は両者とも一度復活した経験を持つRT-235編成とハエ53編成。ハエ53編成もRT-235編成もどちらも同じ線で顔を合わせる事は無かったものの仙石線で走っていた経験があるというのも興味深い所です。