徒然なるままに仙石線

このブログでは仙石線に関するあれこれを解説、考察などをして行きます。

仙石線の色はどのくらいあったのか

仙石線はおよそ100年近い歴史を持つ路線ですが、その間にも車両は大きく変化して行きました。現在は青と水色の帯を纏う205系が主力を務める仙石線ですが、昔はどのような色の車両が運用されていたのでしょうか。今回は仙石線に移行した戦後の車両に絞って見て行きたいと思います。

1,ぶどう色

国鉄になった後の仙石線では運用されていた車両は全てぶどう色2号という茶色で塗装されており、後に転入して来たクモハ12や72系の初期転入車もそのままぶどう色2号で運用されていました。しかし1960年代にも入ると独自の塗装が登場する事になり次第にぶどう色の車両は消えていく事になります。

2,クリーム+朱(気動車ツートン)

1950年代の終わり〜1960年代まで使用された塗装で、当時の気動車標準色を電車に纏わせたのがこの塗装でした。当時仙石線にいた車両全てがこの塗装を纏い、ぶどう色で当初は転用された72系の一部もこの塗装を纏う事になりますが、クモハ54・クハ68はこの塗装を纏う事はありませんでした。尚この塗装を電車で使用していたのは仙石線のみで他線区では見られない異色の塗装でした。

3,ウグイス色

1967年に転入して来たクモハ54・クハ68にのみ当時は纏う事が許された塗装。当初は快速列車用の塗装としての採用でしたが早い段階で72系にも使用される事になり次第に20m車用塗装となって行きました。ウグイス色1色という事もあり一見すると山手線感が出る塗装であり920番台先頭車や970番台だとより一層山手線感を感じさせました。1980年に970番代以外の72系が全廃されるまで運用される事になります。

4,スカイブルー

1979年に転入して来た仙石線初の新性能電車である103系が纏っていたのがこのスカイブルーです。当時のウグイス色から大きく変わったこの塗装はすぐに馴染み72系970番代も晩年はこの塗装でした。この塗装が現在まで続く仙石線=青の電車のイメージを決定付けたと言っても過言ではないでしょう。後に105系もスカイブルーに前面に白線という塗装となり、最終的にスカイブルー単色車両が消滅する事になるのは1998年でした。

画像出典 Wikimedia commons 永尾信幸様

5,アイボリー+赤+青

1987年に改造された105系が纏っていた塗装。2両編成だった105系103系との区別の意味もあり103系とは異なる派手な塗装塗装で知られましたが、この塗装は割と早く消滅し1990年代初頭には消滅しており先述のスカイブルー+前面の白帯となります。

画像出典 Wikimedia commons 永尾信幸様

6,アイボリー+青+水

1989年に103系冷房車が導入され、非冷房の103系を置き換えて行きました。この時アコモデーション改造を施して導入されましたがこの時に塗装変更が行われアイボリーに青の濃淡が採用され、当時の気動車東北地域本社色に類似したパターンが採用されました。103系の全編成がこの塗装を纏いサービス向上に繋がる事になります。1998年に再度塗装更新が施されましたがあおば通延伸後もこのままの塗装で運用された車両もいました。

画像出典 Wikimedia commons 永尾信幸様

7,SENSEKI LINE更新色

1998年に転用された高運転台の103系が採用された塗装がこの塗装で、東北本線等で運用された455系に準じた派手な塗装となり前面の半分近くを青一色に塗りそこにSENSEKI LINEとレタリングした塗装、ドア間にもレタリングが施されドアにも青塗装が使用されるなど大胆なイメージアップが行われ当時の筑肥線103系にも似た派手な塗装でした。2009年に103系が引退するまでこの塗装を纏っていました。

画像出典 Wikimedia commons 永尾信幸様

8,青+水

2002年に導入された205系が纏ったのがこの塗装です。現在仙石線で使用される205系が纏う塗装となっておりかつての103系アコモデーション更新色を想起させる青とスカイブルーの塗装が採用されています。

終わりに

この他にも2Wayシート色や101系が纏っていたオレンジバーミリオンなど、仙石線では他にも様々な塗装がありました。次の仙石線車両はどのような色になるのか楽しみですね。