徒然なるままに仙石線

このブログでは仙石線に関するあれこれを解説、考察などをして行きます。

仙石線の快速「うみかぜ」どのような存在だったのか

仙石線では1957年と、東北地方の路線としてはかなり早い段階で快速列車が運用されていました。そんな仙石線の快速には一時愛称が付けられ、それがうみかぜでした。仙石線の伝説の1つとしても挙げられるうみかぜは一体どのような歴史を辿ったのでしょうか。

快速うみかぜの興り

1979年、塩釜市内高架化工事の煽りを受け快速は一旦廃止されます。しかしその中でも一線スルー式ホームへの変更を行い、軌道強化を図るなど快速復活を秘めた改良が施されました。1983年に復活した仙石線の快速列車は、平日7往復と2本、休日8.5往復にて復活しました。そしてそれにプラスするように休日1往復の特別快速がありました。この特別快速の停車駅はなし。ノンストップで仙台と石巻を走り抜けたのです。1988年3月13日、この仙石線の快速列車に愛称が付与されます。仙石線沿線は松島湾の海沿いを走る区間がある事から、海から陸地への風を意味する「うみかぜ」の名が与えられ、同時にうみかぜ○○号と号数表示を行う事となりました。そして快速うみかぜには専用のヘッドマークが与えられ、初期の物は波飛沫に黄文字で「うみかぜ」、アコモデーション改造車登場以降の物は、松島湾をイメージした海に海風、そして空を舞う鴎のイラストが添えられたヘッドマークが掲げられました。こうして仙石線の定期列車としては初の愛称付き列車であるうみかぜは華々しい登場を飾ったのです。

快速うみかぜ 最速の歴史と思わぬ穴

快速うみかぜは仙石線で運用される快速・特別快速の全てに付与されました。仙石線の快速列車は全区間で通過運転を行うタイプと一部区間を各駅停車する所謂区間快速の役割を果たす快速がありました。そして何よりも凄かったのが特別快速でした。うみかぜとなった後の1988年にノンストップ特快は仙台〜石巻間を43分、表定速度も70.2km/hと当時の快速列車としては凄まじい速度で走り、その後は最速44分になったものの、速度を出せる区間では限界まで速度を上げてとにかく速く仙石間を駆け抜けたのです。車両は仙石線で主力だった103系普通列車もノンストップ特快も基本は103系であった為普通だと思ったら特快だった...という事案も発生し、非冷房車が運用していた頃は側面幕もない、又は使用されていなかった為、これが混乱の要因にもなっていたといいます。さらに103系には大きな穴があったのです。それはトイレがない事。仙石線ではそこそこ長時間走るのに長年トイレが付いておらず、サービス面では早急の改善が求められていました。酒呑み後に仙石線に乗るのは一種の賭け、と噂が出る等の問題も生じました。さらには仙石線内には待避駅が無く、基本的に先発の列車が先着するというダイヤが組まれています。特別快速を余裕を持って走らせる為に前後間隔の列車を18〜24分空けるなど、ダイヤ面の苦労もありました。仙石線の顔ともなった快速・特別快速うみかぜですが、このような苦悩も隠れていたのです。

画像出典 Wikimedia commons Suikotei様

後年の快速うみかぜ

2000年には仙石線仙台市内立体交差事業が完了し仙台〜陸前原ノ町間の地下化、あおば通駅が開業した3月11日改正ですが、この一方でノンストップ特快うみかぜは廃止、特別快速うみかぜは主要駅停車型となり土日祝日運転で残ったものの、あの時に比べれば特別感の見劣り感は否めない状態になってしまいました。2002年以降は205系3100番代も快速うみかぜで運用、トイレの付いた快速列車の実現、2003年以降は特定のうみかぜがマンガッタンライナー化を果たすなど明るいニュースも舞い込みましたが、2003年にはノンストップの名残で残っていた特別快速が廃止となり、そして2004年のダイヤ改正で快速からうみかぜの名は完全に消えます。仙石線から103系が一時引退するのと共にうみかぜの名も歴史の彼方へ去っていったのでした。

終わりに

仙石線快速の全盛期に生まれ、その衰退も間近に見て消えていった「うみかぜ」。石巻駅前に「うみかぜ号」の名の付いた薬局が存在するほど石巻市民に絶大な影響を及ぼした仙石線の看板を担った存在でした。現代の仙石東北ライン特別快速があの頃の「特別快速うみかぜ」の生まれ変わりのようにも感じます。