徒然なるままに仙石線

このブログでは仙石線に関するあれこれを解説、考察などをして行きます。

仙石線の車両はどのくらいの期間運用されていたのか

仙石線では現在まで多くが首都圏からの中古車両での運用が多くを占めており、海側を走行するという比較的過酷な環境下で運用されています。そんな仙石線の歴代の車両はどのくらい運用されていたのでしょうか。今回は宮電の名車、モハ800形からHB-E210系までの歴代車両で見ていく事としましょう。

モハ800形(クモハ2320形) 1937〜1965

モハ800形は総勢11両の大挙を誇った車両で、1937年より運用を開始、国有化後はクモハ2320と名乗りました。幡生に転用された1両を除き仙石線に従事し、1964年に撤退、幡生で残っていた1両も1965年に廃車となりました。運用期間は28年でした。

クモハ12系列 1951〜1969

クモハ12系列は旧来から運用された宮電から継承した車両を淘汰する為に首都圏より転用された17m級の国電です。片開き3扉の車両で仙石線仕様にするにあたり様々な改造が施されました。中でもクハニ19は仙石線と飯田線にしか配属されていなかった異端児でした。最大5両で通勤需要を支えましたが72系導入により1970年を迎えるまでに営業用車両は姿を消しました。運用期間は18年でした。

72系 1966〜1985

仙石線の二世代前の主力車両である72系。仙石線初の20m級4扉車でクモハ12系列を上回る収容力を誇りました。その収容両はラッシュ時に真価を発揮し一気に主力に躍り出ます。1974年には車体を当時の最新車両であった103系高運転車と同一とした970番代が登場、一定のサービス向上に貢献しましたが103系の転用により従来車は1980年、970番代は1985年までに引退、後に川越線へ転用され103系3000番代へ華麗な転身を遂げる事になります。運用期間は19年でした。

画像出典 裏辺研究所 ぷち姉様

クモハ54・クハ68・クハ70 1967〜1977

1967年に導入されたのがクモハ54とクハ68。後に中間のクハの一部のみ70系が導入され、これらは一体で運用されました。共通事項に20m級3扉という点が挙げられ、また仙石線で初めてウグイス色を車体塗装として纏いました。快速や特別快速を中心に運用されましたが普通列車にも積極的に使用されていました。1977年までに970番台が転用された事により引退しました。運用期間は10年でした。

103系 1979〜2004・2009

1979年より老朽化した72系を掃討し仙石線を近代化する為に送り込まれたのが103系です。それまでの仙石線=黄緑の電車というイメージを一新,この103系より仙石線=青い電車というイメージが定着します。1985年に103系に統一するもJR化後にはこの103系が老朽化し首都圏よりアコモデーション改造を施した103系により置き換えられます。以降は105系と共に安定した運用をしていましたが2002年より205系に置き換えられ一旦引退します。2007年に多賀城駅高架化による運用数増加の影響で再び復帰。ラッシュ時間帯に活躍しますが2009年に南武線から来た205系に置き換えられ完全引退,JR東日本から103系が全廃します。運用期間は合計30年。モハ800以降の仙石線車両では最長の運用期間でした。

画像出典 Wikimedia commons 永尾信幸様

105系 1987〜1998

本来はこの期間には101系も存在しましたがあくまで借り受けの扱いであった為今回は除外します。105系は仙石線の高城町以東で別れる客の移動を受け輸送力適正化を目指して103系から改造され1987年3月31日に運用を開始しました。始めは当初の目論見通り石巻〜矢本間を中心に運用されましたが次第に仙台近郊でも運用されていました。この105系は103系第一次転用陣の最後の生き残りでもありましたが1998年に遂に103系によって淘汰されます。運用期間は12年でした。

画像出典 Wikimedia commons 永尾信幸様

205系3100番代 2002〜

2000年代にも突入すると103系の老朽化も限界に近づきつつあり一刻も早い淘汰が必要となりました。そこで山手線や埼京線で余剰になりつつあった205系を先頭車化改造の上で仙石線に転用,3100番代を名乗りました。この205系は様々な取り組みが行われM2〜M5編成の石巻方クハを2Wayシート化,M8編成のマンガッタンライナー化など,様々なバリエーションが生まれました。さらにこの205系には遂に車内にトイレが付き河北新報では大々的に取り上げる程でした。2011年の東日本大震災では津波によりM7・M9編成が廃車となるなどの車両数の減少もありましたが現在でも仙石線の主力として運用されていますが近年では首都圏で205系の引退が相次ぎその波がいよいよ仙石線にも及ぶかもしれないという時期を迎えています。現在まで21年間仙石線で運用されています。

HB-E210系 2015〜

2015年5月30日の仙石線全線復旧による新系統仙石東北ライン開業に合わせ仙石東北ライン用及び仙石線快速列車用として登場したのがHB-E210系です。この車両は宮城電気鉄道が発注し国鉄が購入したモハ810以来の仙石線用の完全新型車両で仙石線復興の象徴とも言える形式です。現在でも仙石東北ラインの快速列車を中心に東北本線の送り込み普通列車にも充当されており仙石間の最速達手段として日々ハイブリッド気動車ならではの高い性能をフルに活かしながら活躍を続けています。現在まで8年運用されています。

終わりに

現在までに仙石線で運用されていた車両達は103系以降の車両を除き20年を超えて運用されていた車両は宮電謹製の車両ぐらいで国鉄以降に転用した車両は殆どが20年以下で全廃となっていることが分かりました。それ以外で初めて同じ編成構成で20年を越して運用された車両は実は205系が初めてだったというのも興味深い所です。