徒然なるままに仙石線

このブログでは仙石線に関するあれこれを解説、考察などをして行きます。

宮城電気鉄道最後の生き残りだった琴電67号 どのような存在だったのか

現在では宮城電気鉄道を偲ぶ面影は殆ど無くなってしまいましたが2003年迄は宮城電気鉄道で運用されていた最後の生き残りといえる車両が高松琴平電気鉄道で運用されていました。60形の67号という車両で、琴電ではどのような存在だったのでしょうか。

宮電から琴電

この67号は宮城電気鉄道時代は1926年に製造されたクハ300形の付随車サハ302という車両でした。1944年に宮電が買収され仙石線となりましたがその直前にサハ302は制御車化され、クハ302となります。暫くはそのままで運用されていましたが1952年に国鉄からクモハ11・12が転用された事により同車は廃車となります。しかし、高松琴平電鉄が同車を含めた元宮電車両3両を買い取り琴電2000形として入線、その内の220号として運用を開始します。暫くは宮電時代の車体を色濃く残したスタイルで運用されていましたが車体の老朽化が進行し1965年に同車は鋼体化改造を受けます。この時に電動車化を受け60形へ編入、この時に67号と形式を改めます。

鋼体化後の動向

鋼製車体となったクハ302こと67号ですが、その車体は元の木造車体の骨組みを生かしたことから宮電時代によく似た物となっており3扉・元の車体と大きく変わらない小さな窓、と先に鋼体化改造を受けていた同じく元宮電の2000形230号や同じく60形の62・65号と比べ少々古めかしい車体で、宮電時代の姿を色濃く残した存在となっていました。1960年代と終わりにはそれまでの塗装から一転し、ファンタンゴレッドと呼ばれる赤色にクリームの塗装という軽快な塗装に変えられ2002年までこのファンタンゴレッドを纏って運用されます。67号の運用は比較的小柄な車体であるという事から本線格の琴平線ではなく同車のような小柄な車体の車両が主力として運用される長尾線志度線を中心に運用されていました。両線は600V規格だったので600Vで運用されていましたが志度線長尾線の順に1500Vへの昇圧がなされ67号も昇圧改造を受けます。同車はその後も60形のうちの数少ない生き残り(62・65・67号)として運用されます。1994年に瓦町駅の工事により志度線と琴平・長尾線が完全に分断されると67号は62号と共に長尾線に転用、琴平線での運用が開始されました。2000年代にも入ると後継の元名古屋市営地下鉄250形である600形が長尾・志度線に入線して来、いよいよ引退へのカウントダウンが始まります。その証拠かのように67号は62号と共にそれまでのファンタンゴレッドからクリーム色に茶色の塗装を纏う事となります。67号は当時62号と共に長尾線で運用されていましたが遂に老朽化しにより600形に淘汰され,2003年に62号と共にさよなら運転を実施、そのまま廃車となりました。同車は保存するという計画もありましたが受け入れ先が見つからず、結局解体されてしまいます。既に230号も廃車となっていた為宮電時代の生き残りが完全消滅する事となりました。

Wikimedia commons Spaceaero2様より引用

終わりに

石巻駅の電車口が統合されて以降、宮電時代を偲ぶ存在の1つとも言えた琴電67号。最後は堂々のさよなら運転を実施して姿を消しました。2003年の引退時点で宮電サハ302として登場してから77年目の事でした。