徒然なるままに仙石線

このブログでは仙石線に関するあれこれを解説、考察などをして行きます。

ゲタ電から本物へ 103系3000番台の数奇な物語とは

103系3000番台。ウグイス色でかつ高運転台の為一見すると山手線から転属して来た103系のようにも見えます。しかし、この103系は川越線に来るまでにとても数奇な運命を辿っているのです。

画像出典 Wikimedia commons DAJF様

仙石線生まれのアコモデーション

そもそも103系3000番台は初めから103系だった訳ではありませんでした。では何だったのか。答えは72系です。72系は旧型国電、いわばゲタ電の一族で、103系らとは異なり足回りは吊り掛け駆動という旧式の足回りを持っていました。では何故72系から103系へと生まれ変わる事が出来たのでしょうか。1970年代半ばの仙石線では72系やクモハ54らが主力として運用されていました。しかしクモハ54の多くは戦前製で老朽化の問題が発生します。そこで国鉄は、仙石線の一定のサービス向上も兼ねて新型車両を仙石線へ導入する事としました。しかし当時の国鉄には仙石線へ103系を入れる余裕は無く、103系に準じた72系を投入する事でサービス向上を図ります。既に鶴見線には103系に準じたアコモデーション改造車のモハが居た事から難しい事では無かったのでしょう。こうして1974年末、103系とそっくりな車体を持った72系、72系970番台が誕生したのです。

サービス向上の為103系を真似たゲタ電

こうして103系の車体を手に入れた72系。車体は最新の高運転台車の103系と瓜二つで、一見すると完全新車に見えます。しかし、よく見ると種車の太い台枠をそのまま流用した事から本物より少し面長に見えます。また機器類は据え置かれた為、足回りは吊り掛け駆動のまま、パンタグラフも旧式のPS13、ジャンパ詮は101系に準じた物と、所々で本家と異なる箇所がありますが、基本的な車体や車内は紛れも無く103系。地元民にとってみれば仙石線にも遂に103系、しかも最新の仕様のが来た、という感覚だったのでしょう。実際72系970番台のデビュー時には仙台駅で盛大な出発式が行われたようで,「仙石線今昔物語」でも72系970番台の出発式のシーンではモハ103と、103系として紹介された事からも当時の地元民にとって非常に衝撃的なニュースだったのです。1976年までに4両5編成が配置され無事仙石線の近代化に貢献したのです。しかし僅か4年後には遂に本物の103系が仙石線に配置。1980年までに12編成を揃え、それまでの72系を一掃しまず103系の導入は終わります。970番台はまだ車体も新しい事からそのまま残され塗装もウグイス色から103系に合わせたスカイブルーに変えて運用されていました。しかし,足回りは据え置いた吊り掛け駆動。足回りの老朽化は遂に隠せない所まで到達しました。晩年の970番台は足回りの故障が相次いでいたようで,国鉄は一刻も早い970番台の淘汰を求められ,1984年より103系の増援を送られ、1985年、遂に72系970番台は仙石線から身を引く事となります。

画像出典 裏辺研究所 ぷち姉様

通勤電車の「シンデレラ」103系3000番台

この頃,大宮〜高麗川間の電化を控えていた川越線では電化後の車両が不足していました。何故なら当時山手線には103系を置き換える為の205系はまだ完成しておらず,山手線を追われた103系は埼京線に転用する事となっていた為,国鉄はこの車両をどうするかに悩まされます。そこで目を付けたのは72系970番台。早速国鉄は同車を各工場へ送り込み,台車は103系や101系の台車を活用、走行機器類は103系の工場予備品を使用,PS13パンタグラフをPS21パンタグラフへ換装した上で新性能化,川越線では3両で使用する予定出会った為モハ72形を電装解除の上でサハ化,1996年に再び合流するまで豊田電車区に配置され青梅線で運用されます。こうして、まさかの新性能化を果たした72系改め103系3000番台は新たに電化された川越線で第三の車生を送ります。JR化後、1991年にはそれまで非冷房のまま据え置かれていた3000番台に分散式冷房が設置され,サービス向上を行う事となります。1996年には豊田に配置されていたサハが合流し全車が4両化,同時に八高線の八王子〜高麗川間の電化が完成し八高線でも運用される事となります。時は流れ2003年,前年より山手線の205系がE231系により置き換えられ各線区へ転用されましたがこの205系が先頭車化改造の上で3000番台化,2005年までに5編成が導入されました。205系の導入により103系3000番台は引退の運命を突きつけられ,2005年10月2日,最後まで残ったハエ53によりさよなら運転を実施,定期運用から離脱。10月17日に廃車回送され103系3000番台は完全に消滅。103系になって20年,72系として生まれてから53年と,その長く,壮絶な車生に幕が降りたのでした。

画像出典 Wikimedia commons Own work様

終わりに

元々72系として生まれながら車両事情があったとは言え,本物へと生まれ変わったというシンデレラストーリーを経験した103系3000番台。同編成が引退した日は103系3000番台の引退と同時にそして実質的に72系が旅客運用を完全に終えた日,と言っても良さそうです。