徒然なるままに仙石線

このブログでは仙石線に関するあれこれを解説、考察などをして行きます。

平成まで生き残ったもう一つの宮電・琴電230号はどのように運用されたのか

高松琴平電気鉄道では元宮城電気鉄道の車両が何両か走っていました。以前に紹介した67号以外にも琴電にはもう一両の車両が運用されていました。

もう一両いた宮電生まれの車両

高松琴平電気鉄道2000形230号。これがもう一両いた宮電生まれの車両です。元は67号も同じく2000形の一族で制御付随車でしたが後に鋼体化した後に電装化されて運用されていました。2000形は元々宮電クハ300形族で3両共譲渡されておりそれぞれが2000形の210・220・230号として運用されていました。登場時はいずれも琴電の本線格の琴平線で運用されていましたが後に長尾・志度線と言った琴平線に比べ小柄の車両が運用される線区へ転用されています。

画像出典 Wikimedia commons Own work様

鋼体化後

2000形は鋼体化されたか否かで動きが大きく変わりました。・230号は鋼体化されましたが210号はそのままの車体となりそのまま1969年に廃車となりました。220号が同時に電装化された上で60形へ編入,67号となりましたが230号に関しては鋼体化されてもそのまま2000形230号となり1969年以降は琴電で唯一の2000形となりました。1957年に鋼体化した車体はバス窓化され2扉化された車体となり宮電時代のスタイルをよく残した67号とは異なり65号のようなバス窓という比較的近代的な車体を手に入れました。しかし足回りについては木造車のままだったそうです。1972年以降は志度線に転用されますが1975年には長尾線で運用されます。しかし付随車である為基本的に電動車との混結が基本で自らが単独で走行する事はありませんでした。その為状況によっては65年に鋼体化された67号との旧宮電同士の混結も見られました。暫くは長尾線で運用されていましたが1994年にそれまでの運行形態が変更されそれまで琴平線と直通していた志度線が瓦町駅改良により分断された事によりどう編成は長尾線から転出し志度線に再び転入する事となります。結果的に志度線が同編成の最後の活躍の場となり志度線に600形が入線すると同車は廃車になりました。1999年の事でした。同編成に関しては21世紀を迎える事なく廃車となりましたが67号と共に宮電時代の数少ない名残でした。

終わりに

琴電において元宮電の車両は旧琴平電鉄の車両に引けを取らない高性能車両が多く,クハ300形として譲渡された車両のうち2両が平成まで残り続けました。67号・230号共に買収国電の中でも特に近年まで現役で運用され続けた為特に長寿の車両だったようにも感じます。