徒然なるままに仙石線

このブログでは仙石線に関するあれこれを解説、考察などをして行きます。

仙石線においてスカイブルー1色の103系が消滅したのはいつだったのか

仙石線へは1979年より103系が導入され,その時に纏っていた色はスカイブルー1色でした。1989年より導入されたアコモデーション車によって置き換えられ引退しました。では,スカイブルーの103系が仙石線から引退したのはいつだったのでしょうか。

仙石線におけるスカイブルー1色の103系の特色

1979年に970番代を除いた72系を置き換える為に導入された103系は4両編成が12本。その時に導入された物は全てが非冷房でかつ白熱灯の1灯ライト,石巻方の先頭車がクモハで構成されていました。そして決定的な特徴として乗務員扉横の戸袋窓が埋められてます。これは快速・特別快速において通過駅でのタブレット受け渡しが残っており,タブレット受け渡し時に誤って当たり窓が割れてしまうのを防ぐ為に埋められました。1984年には970番代を置き換える為に再び導入されましたがこちらは既にタブレット使用が廃止されており乗務員扉横の戸袋窓を埋める必要も無くなった事からそのままで転属しています。この時に導入されたのが後に人気となるクモハ103-1。そして冷房を搭載した編成も同時に転属しています。

画像出典 Wikimedia commons 永尾信幸様

置き換えられるスカイブルー1色の電車

しかしこれらは既に首都圏で使い古された部類に入り特にサハ103-9やクモハ103-1を筆頭に特に初期の103系で構成されており他路線に比べても段々とサービスが見劣りする様になります。そこでJR東日本となった東北地域本社はこの103系を置き換える為の103系を用意する事となります。この頃首都圏では201系や205系によって103系が余剰となりつつありこれを利用する事になります。時代に見合ったアコモデーション改造を施した新たな103系が導入され従来の103系を置き換える事になります。更新車が導入されても暫くは休車という形で残っていましたが初めに正式に廃車となったのはクモハ103-62・68をそれぞれ先頭車としたR-62・68編成で同日に廃車となっています。更新車はこの時点で6編成がで揃っておりここから最初に導入された面々は続々と廃車となって行きます。1991年にはあのクモハ103-1を組み込んだR-1編成が廃車となります。そして1993年3月に最初に導入された乗務員扉横の戸袋窓が埋められた最後の編成であるR-9編成が廃車となります。その翌年の1994年には冷房車として導入されたR-144編成が廃車となりこの時を持ってスカイブルー1色で導入された103系が仙石線から消滅,活躍期間は15年でした。

終わりに

仙石線のラインカラーの基礎ともなったスカイブルー1色の103系は1989年より自身と同じ103系によって置き換えられおよそ15年で運用を終えました。尚,R-144編成はクハ方が乗務員扉横の戸袋窓が埋められておりそれぞれの先頭車の導入時期が時期が異なっていたようです。