徒然なるままに仙石線

このブログでは仙石線に関するあれこれを解説、考察などをして行きます。

仙石線103系には何故乗務員実扉横に戸袋窓がある車両とない車両があるのか

103系の多くは乗務員扉の横に戸袋窓が1つ配置されている車両が多く,低運転台の車両の大半が乗務員室横に戸袋窓が存在していました。しかし中には低運転台ながらない車両も存在しており仙石線の物もその一つと言えます。

戸袋窓が無い103系

そもそも戸袋窓とは,103系が登場した当時はまだ車内灯を日中に付ける機会は多くはなく,消している時も多々ありそういう時の為に戸袋に窓をつけて外界からの明かりを確保していました。1970年代や80年代の通勤電車の多くで戸袋窓が採用されており東武8000系や相鉄6000系のように徹底した軽量化を理由に戸袋窓を設けなかった例もありましたが殆どは通勤電車に戸袋窓が存在しており,それが一般的だったのです。しかし時代が移り変わるにつれ戸袋窓を必要とせずとも採光出来るようになりむしろ戸袋窓を無くす事で軽量化やメンテナンスの容易化が図れる事から戸袋窓は衰退していく事になります。103系に関しても例外では無く低運転台車の大半は全車に戸袋窓が付いていましたがJR化後,JR西日本では103系や201系の戸袋窓を埋める工事が行われており2000年代の時点で西日本の多くの103系から戸袋窓が消滅しています。

何故仙石線では乗務員扉横の戸袋窓が無い編成がいたのか

さて,本題の仙石線に戻すと,1979年に初めて仙石線に103系が配備された時に導入された103系は全て低運転台車でした。低運転台という事なので全てに戸袋窓があると思われますが実はこの時に導入された103系には乗務員室横の戸袋窓が埋められて入線しています。この事から何処と無くATC対応車のようにも見えてしまいますが埋められたのには訳がありました。103系が配備された当時,まだ仙石線ではタブレット閉塞が末端区間に残っていました。タブレットは金属製でありもしこれが乗務員室扉に当たって窓ガラスが破損すれば大変な事になります。その為,万が一の破損を防ぐ為にも仙石線では歴史上乗務員室横の戸袋窓を省略か網で覆った歴史を持っています。72系970番代のように防護用の鉄板が乗務員室横に設けられていましたが103系では埋めることで対処しました。1980年までに導入された12編成は全て戸袋窓が埋められてましたが1984年以降に970番代を置き換える為入線して来た物は導入時点でタブレット閉塞の使用が廃止されていた為戸袋窓は埋められずに入線しました。その為,同じ第一次転用車の間でも乗務員室横の戸袋窓がある編成とない編成が混在する事となったのです。

画像出典 Wikimedia commons Suikotei様

終わりに

タブレット閉塞を使用していた歴史上,仙石線103系の中にも乗務員室横の戸袋窓が無い編成とある編成が出て来ました。その後仙石線は戸袋窓がある編成で統一されますが1998年に京浜東北線から転属して来たATC対応の高運転台車が入線した事により再び混在する事になりました。